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焼津
昨日の夜は寝付きが悪く。
午前3時にはとうとうあきらめて、身支度をすると、
シーンと静まる夜明け前、僕はハイエースに乗り込んだ。

もともと、静岡の焼津にある古道具市場に仕入れに行くの予定だったので、
朝のラッシュ時に行くのより、道路の空いているうち行ってしまって
着いてから仮眠でも取ろうと150キロの道のりを走り出したのだ。

僕はだいたい週に2日ぐらいのペースであちこちの古道具市場へ仕入れに行く、
一般の人には知られてないが、古道具市場というものはあちこちに存在するのだ。
そこには、売り手と買い手が集まり、さまざまな物がセリ(競売)によって
値段が付けられ売買される。

業者にもいろんな種の業者がいて、荷出し屋、店師、露天商、果師などと呼ばれる
有象無象のやからがガラクタ囲み、符丁という専門用語を使いながら
競り合っている光景は、一般の健全な生活を送っている人が見れば、
世紀末的といっても過言ではない。

今日,僕が行った焼津の市場は比較的コアな方ほうだと思う。
集まる人間も、物もクセがあるのだ。
僕はそうゆうほうが好きなので、月に一回の市場なのだが
好んで通っていた。

炎天下の中、午前9時からセリが始まり、今日は物量が少なかったので
昼前には終わった。

今日、僕が仕入れた物は、セイコー社の学校などの施設で使われていたと
思われるデカイ時計や明治時代ぐらい(売り人は大正時代と言っていた)
の謄写盤、かなり味のある木製の弾薬箱、古いトルソー、陶器製の絵具パレット
巨大キノコみたいな碍子、などなど・・・

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残念ながらこの焼津の市場は今日が最後で閉会することになった。
また、仕切り直しで始めるかもしれないがまだ見通しはついてない模様で。

地元の業者さんのTさん、Iさんは毎回、市場終了後、その土地のうまい物を
食べに連れってくれる。

今日も、地元の人間御用達の生シラス丼を食べられる店に連れてってくれた。

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美味かった。
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by interestingman | 2010-07-28 20:55
上海ジミーのカレーライス
 暑い日が続いている。
こうも暑いと水分ばかりを摂取して、食欲が湧かない。
それでも食べなければ動けない性質なので無理にでも
食べる。
何を食べたらいいのか分らなくなると、
大抵、僕は上海ジミーに行く。
週一くらいは行っているだろう、昼時はいつもカレーライスをオーダーする。

楕円形のステンレスのカレー皿に縦割りにカレーとご飯が盛り付けられ、
配膳されると、僕は皿を縦に置き、福神漬けを満遍無くカレー部分にのせると、
手前先端から、ほどよくご飯とカレーを混ぜ、口に入れる。
牛スジとカレーの濃厚な味わいの中にほんのり果実系の甘味が絡み、
しっかりとした辛さが後を追う。

僕はおそらくカレーライスに入っているジャガイモに関してはかなりシビアな方
だと思うが、ジミーカレーのジャガイモは十分にそのハードルを越えている。
味の沁み込まれかたが違うのだ。
例えば、仮にスプーンでジャガイモだけをすくい、大胆にも水の入ったコップに
それを投げ込み、かき回して十分洗ったとしても、そこから取出し、口に入れた
そのジャガイモは何の不満もない味と食感が約束されているであろう。
それだけカレーやご飯とは無関係な独立した完成度を有しているのだ。

3分の1まで平らげると僕は皿を180度回し、もう片方の先端から食べてゆく。
そして、いよいよ最後の1口、2口の具合になると皿を持ち上げ、スプーンを皿の
底に滑らすようにして具をすくい上げ、食べ残しのないように丁寧に食べるのだが、
実は、ステンレス皿の底とスプーンが奏でる心地よい金属音に情緒を感じている。

何を食べたらいいの分らなくなると、
大抵、僕は上海ジミーに行く。
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by interestingman | 2010-07-23 01:40
ハレ・ケ・ケガレ
ここ1カ月の間に僕の目の前で一組の男女が永遠の愛を交わし、
おばあさんが一人、永遠の眠りについた。

珍しいことではない。僕ももう35歳だ。
このくらいの歳になれば、1カ月にこのくらいの頻度で
誰かしらが、永遠の何かをする現場に遭遇する。

先のケースは僕が雇う女性従業員と僕の従兄が結婚をし、
後のケースでは妻の祖母である、義祖母が亡くなった。

双方の現場には僕に直接的に関係した親族がいたり、
間接的な親族がいたり、他人がいたり。

祝したり、弔ったり。

僕も大人なので(?)慣れないスーツを着たり、クセ毛を
整髪料で伸ばしたりして、来賓者のあいさつで戦争話をする
老人の言葉に上手に耳を傾けたり、お焼香の後の親族へのお辞儀を
忘れずにやったり、うまくこなしている。

近頃では、自分も関わることだがその儀礼、儀式を
舞台演劇のように興味深く観察し、その構成員のようにうまく演じる。

僕だけじゃないはずだ。喜ばしかったり、悲しかったりする気持ちとは
別に、その場における慣習や作法に従わなければいけない局面になると
妙にしらじらしくなったりするのは・・・
しかし、おもしろいものでそういった参加者皆で作り上げる演出が、式の
ムードを高め、その場の空気にふさわしい緊張感をもたらす。

また、式をきっかけに明るみになる事実があったり、
参加者の人間性が発露したり、人間関係の変化が生じたり
様々なドラマが交差しながら式は遂行され、一種のカタルシスを
迎える。

先日、ようやく1週間レンタル可能になった「レイチェルの結婚」を観た。
素晴らしい作品だった。
アン・ハサウェイ扮するキムは姉の結婚式に参加する為、リハビリ施設から退院した
情緒不安定なジャンキーで、実家では家族と姉の友人たちが結婚式の準備で共同生活している。
そこでキムはトラブルメーカーのトリックスターとして共に生活を始めるのだが・・・

ジョナサン・デミは手持ちカメラなどを使用しながら、ドキュメンタリーの手法で結婚式までの
数日間を撮影しているのだが、キャストを監督自身のプライベートな交流関係の人間達を起用し、
ほぼアドリブで演技させることで、独特の親密感とライブ感を持たせ、観る者も気がつくと
参加者のような錯覚に陥らせることに成功している。
そして音楽が申し分がない。出演者も黒人、白人、東洋人と様々なのだが、音楽もかなり
グローバルで、祝祭的な演出をしている。

ほんたうに素晴らしい作品だ。

あれや、これやと僕はケに戻り、パスカルズの「パスカルズが行く」をヘビーに聴いている。
これがまたいい。
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by interestingman | 2010-07-21 22:45
乙女の祈り
 1954年、ニュージーランドで2人の女子高生が殺人容疑で逮捕された。
事件内容はポーリーン・パーカー(15歳)とジュリエット・ヒューム(16歳)は
ポーリンの母親を殺害し、事故死に見せかけるため偽装工作をした。
しかし、不審を抱いた警察が2人を追及したところ犯行を認め、逮捕となり、
無期懲役の判決をいいわたされた。
裁判にて検察側の有力な証拠として参考にされたポリーンの日記には
母親の殺害計画と二人が創作した空想小説が綴られていた。

我が家のテレビはアンテナの接続がされていない為、僕は民間放送やら
衛星放送やら地デジやらとは全く無関係な生活を送っている。
僕はここ9年間まともにテレビを見ていない。
それは2001年のアメリカ同時多発テロが起こってからというもの
世の中の情報をなるべく厳選して聴取したいと思い、意図的に接続
されていないのだ。
しかし、世の中の情報を知ろうと、たまにはインターネットでニュースを
閲覧したりする。
気になる見出しなどをクリックしてチェックするのだが、
最近僕の興味を引いたのは「宝塚、女子生徒放火事件」だ。
悩める二人の女子生徒が互いの家族を殺害しようと計画し、
家に火を放ち、家族3人を死傷に負わせた。

その記事を読みながら僕はピーター・ジャクソンの「乙女の祈り」と
いう映画のことを思いだした。
それはニュージーランドで実際に起こった事件を映画化したもので
事件の内容は上記に記したものだ。

ピーター・ジャクソンは「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズで一世を風靡した
監督だがもともとはカルト映画界の旗手で、かつては「バッド・テイスト」や「ブレイン・デッド」
などのかなり悪趣味なスプラッターホラー映画を撮っている。
吐き気が催すほどの血みどろな残虐シーン満載なのだが
映画としてはおそろしく完成度が高く、僕は当時、この監督を密かに期待をしていた。
そして1994年、ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞を獲得したのがこの「乙女の祈り」だった。

ピーター・ジャクソンはすでにこの「乙女の祈り」で「ロード・オブ・ザ・リング」に通じる
映像美を表現している。
二人の少女の不安定かつ非現実的な情緒をソフト・フォーカスな映像で描いていて、
町の中で突如、二人が創作した空想小説の住人が幻覚的に現れ、
彼女たちが踊るシーンなど僕がこれまで観た映画の忘れがたいシーンの一つだ。

二人の少女の共鳴し加速する妄想。

ひと時、僕はこの手の「二人の女の子」モノの映画をよく観ていた。

「ひなぎく」、「ルイーズとケリー」、「ミナ」、「バタフライ・キッス」
「ゴースト・ワールド」・・・・

自分の母親を殺害したポーリーン・パーカーは現在、アン・ペリーというペンネームで
ミステリー小説のベストセラー作家として活躍しているそうだ。
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by interestingman | 2010-07-16 03:23
口を結んだエリマキトカゲ
最近、家に帰るとやたらと折り紙の本が目についた。
決まって残骸のように色紙が部屋中を散乱し、手裏剣やらカエルやら亀が偉そうにいた。
「今、ハマってんだな~」などと思いながらかたずけたりする。
今朝はコーヒーを飲みながら、なんとなくその本をペラペラとめくっていた。

「折り紙とハサミちょーだい~」

始まってしまった。
初めに案山子を作ることにした。何色にしようかと悩んだ挙句、灰色を選択した。
テキストを見ながらサクサクと折ってゆき、最後にハサミで切りこみを入れ、首に巻き付いた
手ぬぐいみたいなものつくり、出来上がった。
なかなかうまくできた。そもそも僕は手が器用なんだと改めてうなずく。
それは「千と千尋」のハクが追いかけられていたフダみたいでかわいいったらありゃしなかった。

次は何を折ろうかと本をペラペラめくっていると、見つけてしまった。

カメラだ。

幼いころ僕はこのカメラが大好きで、折り紙と言えばコレばかりを折っていた。
すかっり折り方など忘れていたのでテキストを見ながら折り進めていたが、一折一折
懐かしさが襲う。
「あっそうそう、んでこーやって、こーやって・・・」

「カシャッ」

なんとも言えない音。もう一回、

「カシャッ」
おもしろい。その形は決してカメラに似ているワケではない。どちらかというと
口を結んだエリマキトカゲ。
しかし、両手でカメラを持つみたいに持って親指で背中を押すと、結ばれた口が開き
例の音をだす。

「カッシャッ」

この動作と音がたまらない。
そうゆえば、幼いころこういった仕掛けものが好きだった。
機関銃のような割り箸鉄砲を作ったり、ありえない大きさの竹とんぼを作って、
高い所から落下させたがハネは回るはずもなく、文字通り落下しバラバラなったり。

僕らはそんな遊びから、幼いなりに物理やギミックの美を追求し鼻を垂らしていた。

キネティック・アートというものがある。
これは「動く作品」という定義でロシア・アヴァンギャルド美術家ナウム・ガボが
1920年に「リアリズム宣言」で提唱したアートだが、後にアメリカの作家アレキサンダー
・カルダーが作品としてモビールを発展させ世に広まった。
それ以前にもマルセル・デュシャンなんかも「回転する作品」などでそのアート性の系統を
示していたが、そもそも昔からキネティック・アートは人々の生活の中にあった。

知育玩具としてのモビールの歴史もかなり深いと聞いているし、
公園の遊具や噴水なども同じ系統のものだ。
日本においても、すでに江戸時代には走馬灯があった。
もともとは中国のものかもしれないけど・・・
幼いころ、お盆で田舎の親戚の家などに行くと玄関や仏壇に走馬灯があったりして
ぼんやり流れる模様をみながら、夢心地になっていたものだ。

「カシャッ」
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口を結んだエリマキトカゲ
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by interestingman | 2010-07-12 17:56
カテゴライズ
そこには段ボール箱にして10箱近くのレコードがあった。
ここ数年のあいだに買い取りで入手したレコードの山から気になるものをピックしたものも
あれば、僕が専門店で気にいって購入したものもある。

「医者の不養生」ってやつで

僕のような古道具屋はかたずけや整理、手入れが仕事みたいなもので
プライヴェートの事柄になると、てんでダメ。

雨の日曜日、来客も少ないだろうと算段し、一念発起。その膨大なレコードの
山の前で仁王立ちをした。

さて、どうカテゴライズするか?
とりあえず、空き箱をいくつか並べてマジックで標した。

「ロック」、「ジャズ」、「ニュー・ウェーブ」、「ジャップ」、「フォーク」、「ブラック」、
「90’s~」

とりあえず、大まかにこの7つの分類で始めることにして、判断に迷いを生じた時
のためにポータブルレコードプレーヤーを用意し改めて視聴できるようにした。

そもそも僕はいわゆるテキスト通りのリスナーではなく、かなり偏った耳をしているので
その行為は間違いなく「僕の僕による僕のための」カテゴライズであった。

たとえば、1940年前後のブールスは「ブラック」には分類されず、アメリカン・フォークロア
音楽として「フォーク」へと分類され、同様に民族色の強い「ジャズ」なども「フォーク」に
分類された。また、「ニュー・ウェーブ」はかなり広義な枠組みとして70年代後半から80年代
前半までの電子音楽、プログレ、パンク、ブラック・ミュージック、ロックを包括するが、
僕のかなり偏った価値観をクリアしたものだけは、「ロック」の箱へと昇格?された。

ジョン・リー・フッカーは「フォーク」、ファラオ・サンダースも「フォーク」
トーキング・ヘッズは「ロック」、ブライアン・オーガーも「ロック」

しかしながら、「ブラック」と「ロック」の箱の追加が相次ぎ、新たに「R&B」と「レゲエ」が追加され、
結局「ブラック・ブルース」と「ホワイト・ブルース」も新設された。

僕が気難しい顔をしながら、そうこうしている間にお客さんは予想に反してボチボチやっては来て、
なんだかんだ僕は控え目な接客しながら作業をしていたのだが、気が付くと僕がいるバックヤード
にお客さんが入り込んで来て、
「いい音ですね。」
などといいながらポータブルレコードプレーヤーから流れる70年代のロックに耳を傾けうなずいている。
「ローファイな音ですけど、なんだか懐かしい音ですね。」
「その当時のレコードプレーヤーですからね。チープな音ですがしっかり鳴ります。それに手軽なんですよ」
僕が作業にあきらめてそう言うと、お客さんはしみじみした面持ちで
「それ、売り物ですか?」
とたずねてきた。

そんな感じのお客とのやりとりが今日は数回あり、2台のレコードプレーヤーと5枚のレコードが売れた。

結局レコードの整理は終わらなかったが、「そうゆうもんなんだな~」的な充実感を得られた
雨の日曜日でした。












 
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by interestingman | 2010-07-12 00:49
「快晴の日」
ここ数年、雨の日を「雨の日」として愉しむゆとりが自分にはない。
仕事のことを考えると、やはり不都合であったりして。
仕方がないことではあるけど、これまでは雨の日は「雨の日」として
そこそこ愉しんでいた。
ボブ・ディランのファーストアルバムを聴きながら、サマーセット・モームの
短編を読んだり、トタンが奏でる雨音を聴きながら、キャラメルコーンをほうばったり、
外に出かけては、取り込まれず悲しく濡れる洗濯物に同情しながら路地を歩いたり・・・
アンニュイでしっとりした感じでヘラヘラできたものだ。

同じように快晴の日を「快晴の日」として愉しむタイミングがつかめず
ただただ、快晴の日として過ごしてしまう。

しかし、今日はこの梅雨つかの間の快晴ということで午前中、息子を助手席に乗せ
ドライブとしゃれこんだ。

最近ようやく手にいれたロイ・ブックバインダーの「トラヴェリン・マン」をCDプレイヤー
に入れ、あのどこまでも優しく、乾いた声とフィンガーピッキングの軽やかな音色に落ち着こうかと
流れる音に僕がうなずいていると息子が左半面の表情を崩した顔で

「なんか、コレじゃない。もっと元気なやつがいい。」

と伝説の名ギターリスト、ロイ・ブックバインダーを「コレ」扱いして言ってきた。
その生意気な表情と「コレ」発言が感に触りひっぱたこうかとも思ったが
確かにこの午前中の快晴のコンディションと3歳児のエネルギーは決してロイとは
同調しないと僕はあっさり認め、あらためてCDボックスに目を落とした。

こうして見るとCDボックスには最近の平坦な日常に無害な音ばかりで、どうしたものか
と思っていたが、幸いクラッシュの「ロンドン・コーリング」があった。

僕は1曲飛ばして2曲目の「ブランド・ニュー・キャデラック」をプレイさせた。

先週の金曜の朝、僕は湘南の古物市場へ向かう車中、ラジオでピーター・バラカンの
「バラカン・モーニング」を聴いていた。
いつもながら、ツボをおさえた選曲にうなずいていたのだが、ふと流れた曲が僕の脳裏を
震わせた。
その曲はエレクトロティックでありつつフロウなダブなのだがしっかりとしたロックで
なによりもボーカルの野暮ったくスッとんきょんな声に馴染み深さを感じた。

曲が終わるとバラカン氏はあの優しい声でその曲はジョー・ストラマーの「ヤラ・ヤラ」で
あると紹介してくれた。

僕はクラッシュ解散後のジョー・ストラマーの音楽活動については全く知らなかったので
久しぶりにドキドキした。「やってたんだー」

そして、僕はアマゾンで調べて1999年発表のジョー・ストラマー&ザ・メスカレロスの
「Xレイ・スタイル」を発注し、思い出したかのように家のCD棚からクラッシュの「ロンドン・
コーリング」を手にしたのだった。

おかげで僕は素敵な「快晴の日」を獲得できた。

午前中のドライブ

ノリノリの息子と

クラッシュ時代のジョー・ストラマー
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by interestingman | 2010-07-10 22:14
エキセントリック

「エキセントリックであるということは、奇行に走ることを意味しない。
 ましてや、自己を顕示することではない。
 エキセントリックとは、中心から外にいること、を本義とする
 周辺にいて、中心の権威に属さない位置。
 その位置を保ちながら、しかも中心を脅かす。」

これは荒俣宏しが「エキセントリック」の意義について語ったものだ。
おそらくこれが本義であれば僕はエキセントリックであろう。
これまで歩んできた人生、人との関わり、対社会での立ち位置
僕は好んでも、好まざるとも周辺をうろついていた。

また、エキセントリックな物が好きで、中心や、現実や、生活から
吹き飛ばされてしまって、ぽつんと転がっている物を見つけると拾いたくなる。
 
例えばこいつとかd0177471_19503186.jpg

または
d0177471_19521440.jpg
こいつとか。
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by interestingman | 2010-07-09 19:54



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